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2015年1月6日火曜日

やるか、やらないか。夢で終らせるやーつ。

昨日ある人とお話していて話題になったことです。

よく外からみて「あのひとすごいね」とか「めっちゃ動いてるな!」という人。
こういう人に共通して言えることは「頭でっかち、耳年増」でないということ。

ようは、なにをするにも先に講釈をたれて、結局何もしない。
そういう人がほとんどなのだ。

例えば僕が過去に5回走ったホノルルマラソン。
この話をすると
「えーすごいなー」
「僕もいきたいねん!」
という人がいっぱいいて、そのうち

「実はホノルルマラソンを走るのが夢なんです!!」

なんて人もかなりいる。いや、マジで。

そんなとき、僕はこういうんです。

「え、じゃあ走ればいいじゃないですか。(真顔」
って
そして心のなかでは(あんたの夢5回も叶えてもうてるやん)と。


そう言うと必ず聞かれる
「え、でもホノルルマラソンって抽選なんでしょ(汗」

「いや、申し込めば100%走れます、抽選ないです。
究極前日に現地でいきなりエントリーしても可能(真顔

「いや、でも時間制限あるだろうし、練習してないからなー(汗・汗」

「時間制限ないですよ、なんやったら最初からベビーカー押して歩いている人おるし、
で、まずもって練習で走ってるんですか?(論破的ドヤ顔」

とまあ、こういうやりとりが多々ある。
ようは

「夢なんです!」とかいう割には、なーんもそのことを調べていないし、行動を起こしてないやーつがほとんどなんだと。

そんな話をしていました。

僕の知る限り、ほんまにエンジン回して頑張ってる人って、こういう夢を描くときに緻密とはいえない地図を自分の中に持っていて、その地図を頼りに行動してしまう人でした。
そして行動しながら、その地図を作っていく人ですね。

逆にこの地図の精度をあげることに重きをおくタイプは、結局何もしない人でした。
「うわ、この角度悪いんちゃう?直してからいこか」みたいな。

「さっさとお前が行って見てこいよ。」と。


まあ別にこれについて僕が全部ちゃんと夢に向かってできているかといえば、そうとは言えませんが、あらためて「まずは動くこと」の大切さを思い出すことの出来た夜でした。

さあ、新年二日目!
今日もがんばっていきます。

たなてつ

2014年8月19日火曜日

ホノルルマラソンが好きすぎてやってしまったこと。

昨年はJCの委員長職のためにあきらめたホノルルマラソン。
今年はいく。
2008年に最初走ってから2010,2011,2012と参加。
そして1年飛ばして2014。
5回目のホノルルマラソンだ。

僕は過去フルマラソンに参加したのは、このホノルルか1回だけ抽選で当たった東京マラソン。

東京マラソンも良かったけど、やっぱりホノルルには敵わない。


1年の自分へのご褒美であり、締めくくりである。

ホノルルマラソンは抽選とかないし、時間制限もない。
だからお金と時間があればだれでも参加できる。

そこで体験できることはクレジットカードのCMみたいだけどほんとうにプライスレスだ。



もちろんフルマラソンなのでしんどいですよ。
ただ多くのマラソン大会とは違うのが、ランナーの目的である。

多くの人がマラソン初心者。
僕もはじめてのフルマラソンがホノルルだったけどそういう人が多い。

また時間制限がないので、家族で参加とかベビーカー押してる人がいたり。
まさにお祭りである。

沿道の応援も素敵だし、この42.195キロはなんだか夢の中を走っているような気持ちになる。



だから僕はこの素敵すぎる体験を多くの人に伝えたいと思い、これまで何人かの友達を誘って参加した。
今年も初めてホノルルを走る人といくのだ。

そしてそんなホノルルマラソンが好きすぎた結果。
あらたにホームページまでつくってしまった。

http://www.honolulu-marathon.net/
タイトルは「初めてホノルルマラソンを走る人へ
まだ製作中の所も多いのはご勘弁。

僕もそうだったし、連れて行った友達もそうだったけど、海外のマラソンということで分からない事が多くて参加に二の足を踏む人も多い。
また、疑問も多い。

そうした方が見て「あ、なるほど」と思ってもらえれば幸いである。
当然これはビジネスではない。
儲けもない。w
趣味をこじらせた結果である。

でも、自分が詳しいことや知っていることを積極的に情報公開することは、どこかで誰かの役に立てるんじゃないかと思う。

もし、あなたやあなたの友達がホノルルマラソンに興味があれば、このサイトを紹介してあげてください。

初めてホノルルマラソンを走る人へ


この記事を見た誰かと、ホノルルマラソン出会えることを楽しみにしています!


2014年6月18日水曜日

おもろい映像を作ろうとして、ほとんど人がする失敗理由

僕は映像を作るのが好きである。
その映像を見た人から「カメラ割りがいい」とか「カットがおもしろい」と褒めてもらうことも多々。
これはプロとしてではなく、あくまでアマチュアレベルでの話だけど。

そのついでにこんなことを聞かれる。

「私も田中さんみたいなムービー作りたいけど、どんなカメラ買えばいいかな?」と。

僕はいう。「今お持ちのスマフォでいいんじゃないですか。」と。

映像をつくるときに大事なことは決して「映像の綺麗さ」ではないわけで。
むしろ、構成がすべてだったりする。

これは昔のファミコンを思い出してもらいたい。
ドラクエ1、2、3。スーパーマリオブラザーズ。
スパルタンX、カラテカ、ギャラガ、ゼビウス。
思い出はつきないが、それらのゲームが高画質であったかと言えば、そうではない。

昔なにかで読んだけど、ファミコン時代は音楽を流すときも「同時発音数4」とかだったらしい。
これはどういうことかというと、同時に4つの音をならすのが限界だったということ。

例えばピアノでコードCのドミソを和音で引けば、あと鳴らせるのは1音、、
その発音数であれだけの音楽を作っていたと思えば脅威である。

話はそれたが、ほんと映像をつくるのは簡単だ。
特にいまはiPhoneさえあれば、iMovieをつかうことでほんと簡単に映像が完成する。
スマフォ1台で。

だから映像をやってみたい人は、画質にこだわるのではなく、構成にこだわれば十分な映像はできるのだ。

あとは視点の問題だと思う。
映像をつくるさいに「ほら、おもろいでしょ!」という映像はたいていすべる。

例えば「よぼよぼのおじいちゃんが実はすごく元気でダッシュする」という映像を作る場合、たいていの人がいきなりおじいちゃんが走り出す映像をつくる。

これでは意味が分からない。

おもろいとか、興味を引く映像というのはバランス崩すから面白い。
日常や、常識というベースがあり、それが崩れるから面白い。

だからダッシュじいちゃんの映像であれば、まずは年相応の動きや日常の映像をいれなければならない。
将棋を縁側で打つとか、ゲートボールをする姿。
その「いかにもおじいちゃん」という常識を見せたのちに、ダッシュするからバランスが崩れる。

たいがいの映像はその常識の部分が抜ける。
だから見ている人は「はぁ?」となる。
設定が不明なのだ。

これはディズニーランドの作りとも同じ。
ディズニーランド(非日常)が入園してからお土産屋があり、そこを抜けてやっと夢の国の中に入るのも日常からいきなり非日常へいかないように、お土産屋のストリートでその「つなぎ」をしているからだ。

まず、日常、常識ありき、そしてそれを崩す。
この順番である。

そういう意味ではセンスもあるかもしれないけれど、見る人への親切心が大事なのかもね。

結婚式やその他いろいろ、映像をつくる人はぜひ参考にしていただくとうれしいです。

2014年6月16日月曜日

ブログって何を書いたらいいの?

僕自身ずっと昔はブログを書いていたけど、ここ数年の忙しさで書かなくなった。
そして気がついた事は、ブログをやめていた時は書いていた時と比較して「向上心」や「勉強しよう」という気が失せていたとうことだ。

ブログというツールはもともとweblogからきている。
様々なことをログるツールとしてのブログ。
だから何を書いても自由。

しかしいつの間にかブログはビジネスツールのように言われだした。
HPのアクセスアップやSEOのために書かなくてはならない。
会社でやれと言われてやらざる得ない。

こうして膨大なブログが世の中にあふれた。
僕も昔はそうしたブログを書いていた。
仕事のために。

ただ、どういう形であれ、ブログを書く事は僕の向上心を刺激したのだ。



では、いまこのブログはどういう意図を持って書いてるかというと、まさに自分のための備忘録であり、話をする機会のないことを文章としてアウトプットする場としている。

昨日書いたような話なんかも居酒屋の馬鹿話の中で急に僕が言い出しても冷めるだけだし、「急に何の話?」ってなってしまう。

あとビジネスマンで勉強と称し、本を読んだりセミナーにいきまくる人がいるが、その多くは自分の中で話をおさめる。

僕の場合は本を読めば簡単でもいいので、書評としてブログに記録することにしている。
ようは、アウトプットだ。

僕が惟うに知識とかノウハウは呼吸と同じじゃないのかと。
吐いて吸ってを繰り返し、肺を強くしていくのと同じなのではと。

ほとんどの人は吸い続ける、吸い続けてノウハウが肺に満タンになりアップアップしている。

マラソンや水泳をしている身からいうと、呼吸のスタートは吐くところだと考えている。
吐けば勝手に吸い込む。
吸って吸って吐いて吐いてよりも、吐いて吐いて吸って吸ってのほうが運動をしてる時には楽なのだ。

だからいろんな知識もアウトプットするに超した事ない。
そういうツールとしてのブログはいいものだ。

また、普段思った事を掛けるのもブログだ。

じゃあ日記でいいじゃないか?

という理論になるが、ここからがまた考えどころ。
日記ではなくブログにしたとたん、人から見られる宿命にある。
で、人に読んでもらうためには文章も考える。

どう表現するのか?

これを学びながら書くのがブログだと思う。
だから、ブログを書こうとする人が躊躇して書けないなんて言ってると。

「じゃあ、『書こうと思いましたが、何を書いたらいいか分かりませんでした。(てへっ)』ってことを書けばいいんじゃないか。」

とおもうのである。

ブログを書く事は間違いなくその人の様々な生活から学びから仕事にいい影響を及ぼす。
ぜひ皆さん、ブログ書いてみてください。


2014年6月15日日曜日

非効率のすすめ。

前回の続編的になります。

去年9月くらいから非常に忙しくなってしまった。
その中では極めて非効率的な作業や行動が多い。

僕は今の状態になる前は、ただただ効率を求めていた。
効率的にすることがすべてであり、非効率なぞ愚か者のすることだと。

そんな僕が極めて非効率な生活を約半年以上してきたことで、勉強になったことがいくつかある。

非効率な生活になれば、当然どこかを効率的にしないと以前よりも出来る仕事や作業にすぐリミットがくる。

よって様々な改善ポイントが発見される。
いままで効率的にやってたのは「似非効率」であり、根本的な効率化が必要になるのだ。

例えば僕の場合は契約書がそうだった。
うちのつくる賃貸契約書はA3で数ページあり、それを印刷して折、ホッチキスで止めて製本していた。
今では条文部分を縮小し、A3一枚裏表で完結できるようにした。
結果、僕は折る作業も、ホッチキス止めも、製本もしなくていいし紙代も減れば重みも減って郵送代も安くなるといい事ずくめだ。

いままではなんの疑問もなく製本していたのだ。

また、パソコンの設定もこだわった。
僕のPCには用例登録というのをしている。

例えばキーボードで「おせ(ose)」と打てば「お世話になります。」と変換される。
「いつ」とうてば「いつもお世話になっております。」と。
「よろ」とうてば「よろしくお願いします。」
よく打つ人名や会社名も登録されている。

ちなみに「よろごか」とうつと「よろしくご確認願います。」

だからメールを送るときに

「いつもお世話になっております。
添付書類作成しました。
よろしくご確認願います。」

と打つ場合

「いつ
添付書類を作成しました。
よろごか」

これで完成。
ちょっとしたことだけどすごく効率がはかれる。

もし、今効率化や無駄を省こうというのが自分としてうまくいかない場合は、あえて無駄なことをしてみてほしい。
きっと非効率の中から学ぶことは多々あるとおもいます。

自信無型高セルフイメージ人間な僕

僕は何かをおこなうときに、大きな目標を立てる事が多い。

その話は周りの人が「やめとけって」っていうことや、「負荷掛け過ぎ」っておちょくられることもある。 

大事を言って、もし達成できなかったら。
そうした不安にかられることはいつもだ。
よくプレッシャーを楽しむなんて言葉もあえけど、僕自身はそんな余裕もない。 

では、なぜそういう目標を立てるのか?
というと、最近自己を分析してみたところ、究極は自分に自信がないのだろう。

 「こうありたい」という僕自身のセルフイメージがあるけど、実際には乖離してる。
その差を埋めようと高い目標を立てて、それをクリアする。
そこで得られる感情が「ほらみろ!俺って出来る奴」というものではない。 

『よかった、、、僕はこれが出来る人間だった。』と思っている。 

ホノルルマラソンを走っていることもフルマラソンを走れる人というセルフイメージを実践するため。 

↑フルマラソンを完走できる自分であったことを実感して安心の私の図。

親指の絵を描くときは親指を書いてはいけない、その周りの空間を書けという話をビジネス書か自己啓発書で読んだ事がある。

まさに、同じ心理。 
僕の理想とする田中徹也像に現実がおいついておらず、結果そこに近づけるためにいろんなことを達する事で「外堀から自分のセルフイメージを維持している」といえよう。 

だから「すごいな」とか言われても、僕自身は自分の自信のなさを補完するのに精一杯というのが本音である(w

そういう意味では、自分のセルフイメージをどこに設定するのかは本当に大事だと思う。

例えば人から期待をもたれたとき、セルフイメージが低い人は
「俺、どうせ出来ないし」と考える。
「無理やん」と。
だからそもそも挑戦なんかしない。

傲慢になるのとは違うけど、自分のイメージを高く持つべきだと僕は想う。
特に僕の場合は周りから「無理やろ」と言われれば言われるほど燃えるタイプ。
そしてそういう自分のセルフイメージやいろんなことを考えるのに必要なことって実はぼんやりする時間だったりする。

ちょっと長くなったので、続編とします。