2014年8月19日火曜日

ホノルルマラソンが好きすぎてやってしまったこと。

昨年はJCの委員長職のためにあきらめたホノルルマラソン。
今年はいく。
2008年に最初走ってから2010,2011,2012と参加。
そして1年飛ばして2014。
5回目のホノルルマラソンだ。

僕は過去フルマラソンに参加したのは、このホノルルか1回だけ抽選で当たった東京マラソン。

東京マラソンも良かったけど、やっぱりホノルルには敵わない。


1年の自分へのご褒美であり、締めくくりである。

ホノルルマラソンは抽選とかないし、時間制限もない。
だからお金と時間があればだれでも参加できる。

そこで体験できることはクレジットカードのCMみたいだけどほんとうにプライスレスだ。



もちろんフルマラソンなのでしんどいですよ。
ただ多くのマラソン大会とは違うのが、ランナーの目的である。

多くの人がマラソン初心者。
僕もはじめてのフルマラソンがホノルルだったけどそういう人が多い。

また時間制限がないので、家族で参加とかベビーカー押してる人がいたり。
まさにお祭りである。

沿道の応援も素敵だし、この42.195キロはなんだか夢の中を走っているような気持ちになる。



だから僕はこの素敵すぎる体験を多くの人に伝えたいと思い、これまで何人かの友達を誘って参加した。
今年も初めてホノルルを走る人といくのだ。

そしてそんなホノルルマラソンが好きすぎた結果。
あらたにホームページまでつくってしまった。

http://www.honolulu-marathon.net/
タイトルは「初めてホノルルマラソンを走る人へ」
まだ製作中の所も多いのはご勘弁。

僕もそうだったし、連れて行った友達もそうだったけど、海外のマラソンということで分からない事が多くて参加に二の足を踏む人も多い。
また、疑問も多い。

そうした方が見て「あ、なるほど」と思ってもらえれば幸いである。
当然これはビジネスではない。
儲けもない。w
趣味をこじらせた結果である。

でも、自分が詳しいことや知っていることを積極的に情報公開することは、どこかで誰かの役に立てるんじゃないかと思う。

もし、あなたやあなたの友達がホノルルマラソンに興味があれば、このサイトを紹介してあげてください。

「初めてホノルルマラソンを走る人へ」


この記事を見た誰かと、ホノルルマラソン出会えることを楽しみにしています!


2014年8月13日水曜日

忙殺の彼方

忙殺。
まあ、うまくこんなことばを考えたものだ。



僕はけっして要領がよくない。
気分屋だし、乗らないと作業が進まない。

そんな性格なのに、昨年9月より青年会議所の委員長の役を受けてしまった。

そしてそれは、非常に多くの時間を費やす結果となった。
まだこの職務は継続中であるが、これがほんまに大変。
しかしそんな役をしながらも、多くのことを本当に勉強させてもらった。

僕はこの間、ほとんど仕事も手につかなかった。

だが、仕事が思うように出来ない状況は、非常に多くのことに気がつく瞬間でもあった。

僕はこれまでは「どうすればいいのか?」「何をすればいいのか?」をフォーカスして自分の生き方や仕事を考えていた。
しかし自分が動けない状況において考えた事は

「何をしなくていいのか?」

これにつきる。

昔「親指の絵を描くときは親指を描かずにその周りの空間を描く」という話を聞いた事があるが、まさにそれである。

やりたいことがたくさんある僕に必要なことは、やらなくていい事をやらない生活にすることなのだ。

振り返ってみると、僕は自分がしなくていいことさえしていた気がする。
またこれは同時にライフスタイルと持ち物にも影響してきた。

例えば服。
僕はすごく限られた服しか持たないようになった。
他人から見ればいつも同じような服しか着ていないと思われてるんじゃないかって。
でもそれが正解。(笑
僕にとって私服は人生における重要なファクターではない。

ちなみに先日もただでさえ少ない服を選別して捨てた。
多分僕の私服は今段ボール2つ以内に収まるだろう(笑

そのかわりスーツはオーダーものしか着ない。
マラソンのウェアは15000円でも買うけど、私服は1万円以上のものは買った事がない、そもそも5000円を超えると躊躇する。(笑

周りに高価な腕時計をしている友達が多くいるが、僕はそもそも時計はしないし必要だと思わないけど、1万円近くするトレーニングのグローブは即決で買う。

仕事でいうと、積極的に外注に出す。
無駄なアポイントは入れない。
作業はしない。

そのかわり体のトレーニングに掛ける時間が増えたりと、まさに今大きくライフスタイルを変えつつある。

まあいろいろ書いたが、ここに行き着いたのにはやはり委員長職をした事が大きい。
自分でコントロールできないことに大きく時間を取られた事が一番の学びにつながるという結果だ。

忙殺の彼方で得たのは、やはり人生は自分のために生きるべきだと、本物の生きた学びだった。

なんかこう書くと青年会議所の委員長職はとんでもなくやらない方がいいものに感じるかもしれないが、ぜひチャンスがあればやるべきだと思う。

何年もかけて何十冊という自己啓発やマネジメントの本を読むよりも、1年でそのすべてを学ぶことが出来るからだ。

1年必死でもがいて学ぶか、何年も時間を掛けるか?
限られた人生の時間なので、僕なら前者をお勧めします。

2014年8月7日木曜日

ガジェットスタイル

僕はスマホやタブレット、ノートPCをよく買う。
これについては理由がある。

■1つは効率と分業

実は僕がもっているガジェットはあまり高価なものはない。
なぜなら目的別に買うからだ。
だから目的によっては中古でも全く問題ない。

例えば今使っているzenbookなどは「windowsでマイクロソフトのOfficeを動かさなければいけない」という状況があったので、Office入りの中古zenbookを購入した。

しかしMacBookを買い替えたのは「動画編集」が大きな理由であったので、最新機種とスペックにこだわった。

2台目のスマホとしてnexus5を購入。
googleを無視できない生活をしている中で、google公式のスマホを持つことで利便性が格別にアップ。いまではiPhoneは手放し候補となっている。

なお、現在あるPCを海外から取り寄せ中。

まあ、いろいろ書いたが僕はオールマイティな1台ではなくPCに分業をさせているので自然と数が多いだけである。

「金使ってるな」と思われそうだが、意外と1つ1つの値段は高くない。
もちろんMacBook Proは値が張るが、前に使っていた旧モデルを売ってるのでそれほど追加はなく、いろいろあわせても「俺レッツノート1台持ち」という人のその1台分以下である。

■2つ目はシンプルに生きるうえで必須スキルであること

モノを減らして仕事を効率的にするうえで、こうしたガジェットが実は大事。
僕にとってはこれらは右腕。
そしてこの右腕を使いこなすスキルが求められる。

そのためにも新しいものには触れておく必要がある。

しかしやはりさっきも書いたが「ガジェットに目的を持たせる」ことが大事。
友人でもスマホもってるけど、ガラケーも持っているという人がいる。
通話はやっぱりこれ。というタイプ。
それはおおいに僕は正解だと思っている。

何も古いものがダメなのではない。

あと「これ無くなったら、壊れたら終わる」という人。
これは残念すぎる。
仕事でも「この人いなくなったらうち回らなくなる」というのと一緒。

常にバックアップをとり、いつでも交換すればすぐに通常運転できるようにしておくことが大事であり、ガジェットに振り回されない生活といえよう。

ガジェットはあくまで「右腕」であり、それ以上のものではない。
万能でもない。
だからこそ複数持つことは当然なのだ。

2014年8月6日水曜日

削ぎ落とす

今年青年会議所の委員長になり、学んだことが多くある。
その中で、今もっとも僕が勉強になっていることは
・自分を律すること
・時間の使い方
・優先順位
この3つである。

仕事もあり、青年会議所もやりながらとなると本当にやることが多い。
そして一人でやることにおいてすぐ限界がある。

そうなると、当然誰かに「振る」ことが必要になる。

しかし、それも限界がある。
結局「僕しかできないことがこれほどあったのか。」と分かる。

これは別に「自分がこれだけのことをやっていた」という自画自賛でもなんでもない。
逆に、「もし僕になにかあれば、これだけの事が出来なくなる」というとんでもない現状に気がついた。

自分でいうのもなんだが、僕は基本的にいろんなことをある一定レベルまでこなす。
よってなんでも自分でやってしまう。
これが僕に取って一番悪いところだ。

よって自分自身しかやれないことを減らすことが必要だと今更気がついた。
削ぎ落とすことが大事であり、そして本当に自分がやるべきことが何かを考えなくてはならない。

また、これは仕事だけでなく「モノ」においても同じ事が言える。

今年は家族がフィジーにいき、年の半分は独身生活をしている。
その中で家族のありがたさも学びながら、「いかに家に無駄なものが多い」かを知る。

嫁と子供二人はフィジーでの生活に旅行バックだけででかける。
それで3ヶ月過ごす。
そう思えば、今家にある彼女らの服やモノは「無くても生活が可能だ」といえるだろう。

また家族が海外で生活することを目の当たりにし、考えた事が「これからの世の中こうして海外と日本の垣根がますますなくなり、あちこち行く事が多くなるのだろう」ということだ。

そうしたとき、モノが多い生活は動けない。
本当にいる良質のモノを少しだけ持って、身軽に生きる。
いざとなったら家族で軽トラ1台で引っ越しできるような生活。

仕事も生活もシンプルにしていくことが僕にとって大事なんだろうと。

しかしこういうと「でもてっちゃんはスマホも2台もって、PCも何台ももってるやん!」と言われそうだが。。。。

言い訳になるが、これには理由がある。

このガジェットの言い訳については、明日更新したいと思います。







2014年7月16日水曜日

年の半分別居生活とその効果

7月13日より嫁と子供二人がフィジーに出発。
今年2回目のフィジー行き。

最初は1−4月の3ヶ月間。
今度は8月までの1ヶ月。
すなわち2014年だけに関して言うと、今のところは年の半分は別居状態。

とはいえ、さすが留学の効果。
嫁も子供二人も日常会話についての英語はほぼほぼ出来るようになった。

また留学中においても、向こうで子供たちはフィジーの公立小学校にいく。
よって授業も友達も全員英語。
コミュニケーションをするにも「しゃべらざるえない」状況だ。

さらに今回は日本人のいる留学センターではなく、ホームステイ。
二人はバラバラの家にステイするために日常が英語しかない。

僕らが子供のころは「英語は授業の為に」受けていた。
しかし、これからの時代は日本人としてのカルチャーを持った上でビジネスをしていく場合、はやり英語力は必須である、いまさらだけど。

これを言うと「日本で仕事してたらいらんでしょ」という人もいるが、日本の将来をガチで考えた場合無視できないのが雇用の問題。

これは将来子供をサラリーマンか公務員にしたいと思うのであれば学校英語をしっかり勉強していい成績が就職へのパスポートになる。
しかしこれまでのように企業においても「作業」でれば今後日本が入れざる得ない移民がその立場をえる。

現に今コンビニやチェーン店の飲食店では、多くが中国人を使っている。

またそれ以上に企業も英語を無視できないのだから「英語がしゃべれる人材」と「しゃべれない人材」であればしゃべれる人材を取る。

僕の好きなハワイにおいても実際のところ「日本語・英語両方しゃべれる人」というのは仕事があるものだ。

ちなみにうちの場合は「いい企業に就職する」とか「公務員になりたい」とか「いい学校に入りたい」というモチベーションは無い。
子供たちに「海外と日本を行き来するような仕事をしてほしい」「いつでも好きなところに住んで仕事するような人生」を得てほしいがために英語というパスポートを取得させている状況である。

まあいろいろ書いたが、今ここ数ヶ月で子供がぺらぺら英語をしゃべれるようになった価値を考えると、僕がさみしい思いをして別居生活をしている苦労なんぞ安い投資なんだと思う。

ちなみに僕がこの家族と離れて過ごした日々で手に入れたものは


コインランドリーでまったり過ごし、乾燥した洗濯物を手早く綺麗にたたむスキルである。

2014年7月6日日曜日

ぼかぁ怠け者。

今朝は10時前まで睡眠、からの現在三宮のスタバです。


nexus5でドラクエ2したり、本読んだりとダラダラしてます。
最近、こうしたダラダラした時間を失いつつありました。
僕はもともとが怠け者なんで、こうした時間がなくなるとすごいストレスを感じます。

ただ問題は、性格的にあまりこう長い時間ダラダラもできません。
例えば、4時間ぽかっと時間が空いたとしましょう。
多分2時間まではぼーっとしていますが、その後はジムとかにいってしまうでしょう。

いまでも何にもしなけりゃいいのに、「あ、時間あるしブログ書こう。」となってしまうのです。

ダラダラしたい→飽きる→せかせか動く→疲れる→ダラダラしたい→以下略

こうしたスパイラルなんでしょうね。

ちなみに、僕は時間術の本をめっちゃ読みます。
時間術の本だと、ジャケ買いです(w

これも結局はいかに効率的に仕事をするか、ということの欲求のなせる技です。

効率的に仕事したい→ダラダラしたい→飽きる→以下略w

そんな僕がたくさん読んだ時間術の中で役立ちそうなことを次回まとめます。






2014年6月18日水曜日

おもろい映像を作ろうとして、ほとんど人がする失敗理由

僕は映像を作るのが好きである。
その映像を見た人から「カメラ割りがいい」とか「カットがおもしろい」と褒めてもらうことも多々。
これはプロとしてではなく、あくまでアマチュアレベルでの話だけど。

そのついでにこんなことを聞かれる。

「私も田中さんみたいなムービー作りたいけど、どんなカメラ買えばいいかな?」と。

僕はいう。「今お持ちのスマフォでいいんじゃないですか。」と。

映像をつくるときに大事なことは決して「映像の綺麗さ」ではないわけで。
むしろ、構成がすべてだったりする。

これは昔のファミコンを思い出してもらいたい。
ドラクエ1、2、3。スーパーマリオブラザーズ。
スパルタンX、カラテカ、ギャラガ、ゼビウス。
思い出はつきないが、それらのゲームが高画質であったかと言えば、そうではない。

昔なにかで読んだけど、ファミコン時代は音楽を流すときも「同時発音数4」とかだったらしい。
これはどういうことかというと、同時に4つの音をならすのが限界だったということ。

例えばピアノでコードCのドミソを和音で引けば、あと鳴らせるのは1音、、
その発音数であれだけの音楽を作っていたと思えば脅威である。

話はそれたが、ほんと映像をつくるのは簡単だ。
特にいまはiPhoneさえあれば、iMovieをつかうことでほんと簡単に映像が完成する。
スマフォ1台で。

だから映像をやってみたい人は、画質にこだわるのではなく、構成にこだわれば十分な映像はできるのだ。

あとは視点の問題だと思う。
映像をつくるさいに「ほら、おもろいでしょ!」という映像はたいていすべる。

例えば「よぼよぼのおじいちゃんが実はすごく元気でダッシュする」という映像を作る場合、たいていの人がいきなりおじいちゃんが走り出す映像をつくる。

これでは意味が分からない。

おもろいとか、興味を引く映像というのはバランス崩すから面白い。
日常や、常識というベースがあり、それが崩れるから面白い。

だからダッシュじいちゃんの映像であれば、まずは年相応の動きや日常の映像をいれなければならない。
将棋を縁側で打つとか、ゲートボールをする姿。
その「いかにもおじいちゃん」という常識を見せたのちに、ダッシュするからバランスが崩れる。

たいがいの映像はその常識の部分が抜ける。
だから見ている人は「はぁ?」となる。
設定が不明なのだ。

これはディズニーランドの作りとも同じ。
ディズニーランド(非日常)が入園してからお土産屋があり、そこを抜けてやっと夢の国の中に入るのも日常からいきなり非日常へいかないように、お土産屋のストリートでその「つなぎ」をしているからだ。

まず、日常、常識ありき、そしてそれを崩す。
この順番である。

そういう意味ではセンスもあるかもしれないけれど、見る人への親切心が大事なのかもね。

結婚式やその他いろいろ、映像をつくる人はぜひ参考にしていただくとうれしいです。