2014年7月16日水曜日

年の半分別居生活とその効果

7月13日より嫁と子供二人がフィジーに出発。
今年2回目のフィジー行き。

最初は1−4月の3ヶ月間。
今度は8月までの1ヶ月。
すなわち2014年だけに関して言うと、今のところは年の半分は別居状態。

とはいえ、さすが留学の効果。
嫁も子供二人も日常会話についての英語はほぼほぼ出来るようになった。

また留学中においても、向こうで子供たちはフィジーの公立小学校にいく。
よって授業も友達も全員英語。
コミュニケーションをするにも「しゃべらざるえない」状況だ。

さらに今回は日本人のいる留学センターではなく、ホームステイ。
二人はバラバラの家にステイするために日常が英語しかない。

僕らが子供のころは「英語は授業の為に」受けていた。
しかし、これからの時代は日本人としてのカルチャーを持った上でビジネスをしていく場合、はやり英語力は必須である、いまさらだけど。

これを言うと「日本で仕事してたらいらんでしょ」という人もいるが、日本の将来をガチで考えた場合無視できないのが雇用の問題。

これは将来子供をサラリーマンか公務員にしたいと思うのであれば学校英語をしっかり勉強していい成績が就職へのパスポートになる。
しかしこれまでのように企業においても「作業」でれば今後日本が入れざる得ない移民がその立場をえる。

現に今コンビニやチェーン店の飲食店では、多くが中国人を使っている。

またそれ以上に企業も英語を無視できないのだから「英語がしゃべれる人材」と「しゃべれない人材」であればしゃべれる人材を取る。

僕の好きなハワイにおいても実際のところ「日本語・英語両方しゃべれる人」というのは仕事があるものだ。

ちなみにうちの場合は「いい企業に就職する」とか「公務員になりたい」とか「いい学校に入りたい」というモチベーションは無い。
子供たちに「海外と日本を行き来するような仕事をしてほしい」「いつでも好きなところに住んで仕事するような人生」を得てほしいがために英語というパスポートを取得させている状況である。

まあいろいろ書いたが、今ここ数ヶ月で子供がぺらぺら英語をしゃべれるようになった価値を考えると、僕がさみしい思いをして別居生活をしている苦労なんぞ安い投資なんだと思う。

ちなみに僕がこの家族と離れて過ごした日々で手に入れたものは


コインランドリーでまったり過ごし、乾燥した洗濯物を手早く綺麗にたたむスキルである。

2014年7月6日日曜日

ぼかぁ怠け者。

今朝は10時前まで睡眠、からの現在三宮のスタバです。


nexus5でドラクエ2したり、本読んだりとダラダラしてます。
最近、こうしたダラダラした時間を失いつつありました。
僕はもともとが怠け者なんで、こうした時間がなくなるとすごいストレスを感じます。

ただ問題は、性格的にあまりこう長い時間ダラダラもできません。
例えば、4時間ぽかっと時間が空いたとしましょう。
多分2時間まではぼーっとしていますが、その後はジムとかにいってしまうでしょう。

いまでも何にもしなけりゃいいのに、「あ、時間あるしブログ書こう。」となってしまうのです。

ダラダラしたい→飽きる→せかせか動く→疲れる→ダラダラしたい→以下略

こうしたスパイラルなんでしょうね。

ちなみに、僕は時間術の本をめっちゃ読みます。
時間術の本だと、ジャケ買いです(w

これも結局はいかに効率的に仕事をするか、ということの欲求のなせる技です。

効率的に仕事したい→ダラダラしたい→飽きる→以下略w

そんな僕がたくさん読んだ時間術の中で役立ちそうなことを次回まとめます。






2014年6月18日水曜日

おもろい映像を作ろうとして、ほとんど人がする失敗理由

僕は映像を作るのが好きである。
その映像を見た人から「カメラ割りがいい」とか「カットがおもしろい」と褒めてもらうことも多々。
これはプロとしてではなく、あくまでアマチュアレベルでの話だけど。

そのついでにこんなことを聞かれる。

「私も田中さんみたいなムービー作りたいけど、どんなカメラ買えばいいかな?」と。

僕はいう。「今お持ちのスマフォでいいんじゃないですか。」と。

映像をつくるときに大事なことは決して「映像の綺麗さ」ではないわけで。
むしろ、構成がすべてだったりする。

これは昔のファミコンを思い出してもらいたい。
ドラクエ1、2、3。スーパーマリオブラザーズ。
スパルタンX、カラテカ、ギャラガ、ゼビウス。
思い出はつきないが、それらのゲームが高画質であったかと言えば、そうではない。

昔なにかで読んだけど、ファミコン時代は音楽を流すときも「同時発音数4」とかだったらしい。
これはどういうことかというと、同時に4つの音をならすのが限界だったということ。

例えばピアノでコードCのドミソを和音で引けば、あと鳴らせるのは1音、、
その発音数であれだけの音楽を作っていたと思えば脅威である。

話はそれたが、ほんと映像をつくるのは簡単だ。
特にいまはiPhoneさえあれば、iMovieをつかうことでほんと簡単に映像が完成する。
スマフォ1台で。

だから映像をやってみたい人は、画質にこだわるのではなく、構成にこだわれば十分な映像はできるのだ。

あとは視点の問題だと思う。
映像をつくるさいに「ほら、おもろいでしょ!」という映像はたいていすべる。

例えば「よぼよぼのおじいちゃんが実はすごく元気でダッシュする」という映像を作る場合、たいていの人がいきなりおじいちゃんが走り出す映像をつくる。

これでは意味が分からない。

おもろいとか、興味を引く映像というのはバランス崩すから面白い。
日常や、常識というベースがあり、それが崩れるから面白い。

だからダッシュじいちゃんの映像であれば、まずは年相応の動きや日常の映像をいれなければならない。
将棋を縁側で打つとか、ゲートボールをする姿。
その「いかにもおじいちゃん」という常識を見せたのちに、ダッシュするからバランスが崩れる。

たいがいの映像はその常識の部分が抜ける。
だから見ている人は「はぁ?」となる。
設定が不明なのだ。

これはディズニーランドの作りとも同じ。
ディズニーランド(非日常)が入園してからお土産屋があり、そこを抜けてやっと夢の国の中に入るのも日常からいきなり非日常へいかないように、お土産屋のストリートでその「つなぎ」をしているからだ。

まず、日常、常識ありき、そしてそれを崩す。
この順番である。

そういう意味ではセンスもあるかもしれないけれど、見る人への親切心が大事なのかもね。

結婚式やその他いろいろ、映像をつくる人はぜひ参考にしていただくとうれしいです。

2014年6月17日火曜日

痩せたるねん2014

最近ダイエットを始めた。
もっと厳密にいうと、先週末から。
去年7月くらいにはしぼって相当いいからだ手前まできていた。
しかし、その後神戸JCの理事になり、とんでもない日々を過ごすうちに体重は軽く10キロ増えた。

今年はホノルルマラソンにもいくので、確実に痩せなければならない。
そこで、単純に「痩せよう」と思っても無理だと考え、目標を設定することにした。

もともと僕は目標設定型なので、明確な設定ができないかぎり動けない。
そこで、いろいろと計算をした結果。
ホノルルマラソン当日の一ヶ月前までに11キロの減量をしようと計画。



一応僕の計画でいくと、約一ヶ月に2キロ程度落としていく事でこの目標に達すると計算
1日約75グラムのダイエットだ。
理論上1グラムの脂肪を燃やすのにかかるエネルギーは7キロカロリーと言われている。
よって1日7×75グラム、すなわち約520キロカロリーを消費する必要がある。

これはまあまあ過酷である。
特に僕の場合は糖質制限ダイエットとか食べないダイエットは一切やらないので、食べる料を減らしつつ、運動でカバーすることになる。
だって、今でも普通に朝スタバでドーナツとか食べてるし。。。

そう考えると、普通の運動量では足りない事も分かってきた。
ちなみに500キロカロリーを消費するのは大変。
例えばジョギングを30分したところで、240キロカロリー程度だ。
毎日じゃあ1時間走るか!といってもそれは難しい。
となると、細かい消費を積み重ねるしかない。

一駅前からあるくとか、階段はダッシュするとか。
昨日は自転車通勤したりとか、、、

まあ、書いたからにはやらんとあかんので、しっかりとがんばりたいとおもいます。



2014年6月16日月曜日

ブログって何を書いたらいいの?

僕自身ずっと昔はブログを書いていたけど、ここ数年の忙しさで書かなくなった。
そして気がついた事は、ブログをやめていた時は書いていた時と比較して「向上心」や「勉強しよう」という気が失せていたとうことだ。

ブログというツールはもともとweblogからきている。
様々なことをログるツールとしてのブログ。
だから何を書いても自由。

しかしいつの間にかブログはビジネスツールのように言われだした。
HPのアクセスアップやSEOのために書かなくてはならない。
会社でやれと言われてやらざる得ない。

こうして膨大なブログが世の中にあふれた。
僕も昔はそうしたブログを書いていた。
仕事のために。

ただ、どういう形であれ、ブログを書く事は僕の向上心を刺激したのだ。



では、いまこのブログはどういう意図を持って書いてるかというと、まさに自分のための備忘録であり、話をする機会のないことを文章としてアウトプットする場としている。

昨日書いたような話なんかも居酒屋の馬鹿話の中で急に僕が言い出しても冷めるだけだし、「急に何の話?」ってなってしまう。

あとビジネスマンで勉強と称し、本を読んだりセミナーにいきまくる人がいるが、その多くは自分の中で話をおさめる。

僕の場合は本を読めば簡単でもいいので、書評としてブログに記録することにしている。
ようは、アウトプットだ。

僕が惟うに知識とかノウハウは呼吸と同じじゃないのかと。
吐いて吸ってを繰り返し、肺を強くしていくのと同じなのではと。

ほとんどの人は吸い続ける、吸い続けてノウハウが肺に満タンになりアップアップしている。

マラソンや水泳をしている身からいうと、呼吸のスタートは吐くところだと考えている。
吐けば勝手に吸い込む。
吸って吸って吐いて吐いてよりも、吐いて吐いて吸って吸ってのほうが運動をしてる時には楽なのだ。

だからいろんな知識もアウトプットするに超した事ない。
そういうツールとしてのブログはいいものだ。

また、普段思った事を掛けるのもブログだ。

じゃあ日記でいいじゃないか?

という理論になるが、ここからがまた考えどころ。
日記ではなくブログにしたとたん、人から見られる宿命にある。
で、人に読んでもらうためには文章も考える。

どう表現するのか?

これを学びながら書くのがブログだと思う。
だから、ブログを書こうとする人が躊躇して書けないなんて言ってると。

「じゃあ、『書こうと思いましたが、何を書いたらいいか分かりませんでした。(てへっ)』ってことを書けばいいんじゃないか。」

とおもうのである。

ブログを書く事は間違いなくその人の様々な生活から学びから仕事にいい影響を及ぼす。
ぜひ皆さん、ブログ書いてみてください。


2014年6月15日日曜日

非効率のすすめ。

前回の続編的になります。

去年9月くらいから非常に忙しくなってしまった。
その中では極めて非効率的な作業や行動が多い。

僕は今の状態になる前は、ただただ効率を求めていた。
効率的にすることがすべてであり、非効率なぞ愚か者のすることだと。

そんな僕が極めて非効率な生活を約半年以上してきたことで、勉強になったことがいくつかある。

非効率な生活になれば、当然どこかを効率的にしないと以前よりも出来る仕事や作業にすぐリミットがくる。

よって様々な改善ポイントが発見される。
いままで効率的にやってたのは「似非効率」であり、根本的な効率化が必要になるのだ。

例えば僕の場合は契約書がそうだった。
うちのつくる賃貸契約書はA3で数ページあり、それを印刷して折、ホッチキスで止めて製本していた。
今では条文部分を縮小し、A3一枚裏表で完結できるようにした。
結果、僕は折る作業も、ホッチキス止めも、製本もしなくていいし紙代も減れば重みも減って郵送代も安くなるといい事ずくめだ。

いままではなんの疑問もなく製本していたのだ。

また、パソコンの設定もこだわった。
僕のPCには用例登録というのをしている。

例えばキーボードで「おせ(ose)」と打てば「お世話になります。」と変換される。
「いつ」とうてば「いつもお世話になっております。」と。
「よろ」とうてば「よろしくお願いします。」
よく打つ人名や会社名も登録されている。

ちなみに「よろごか」とうつと「よろしくご確認願います。」

だからメールを送るときに

「いつもお世話になっております。
添付書類作成しました。
よろしくご確認願います。」

と打つ場合

「いつ
添付書類を作成しました。
よろごか」

これで完成。
ちょっとしたことだけどすごく効率がはかれる。

もし、今効率化や無駄を省こうというのが自分としてうまくいかない場合は、あえて無駄なことをしてみてほしい。
きっと非効率の中から学ぶことは多々あるとおもいます。

自信無型高セルフイメージ人間な僕

僕は何かをおこなうときに、大きな目標を立てる事が多い。

その話は周りの人が「やめとけって」っていうことや、「負荷掛け過ぎ」っておちょくられることもある。 

大事を言って、もし達成できなかったら。
そうした不安にかられることはいつもだ。
よくプレッシャーを楽しむなんて言葉もあえけど、僕自身はそんな余裕もない。 

では、なぜそういう目標を立てるのか?
というと、最近自己を分析してみたところ、究極は自分に自信がないのだろう。

 「こうありたい」という僕自身のセルフイメージがあるけど、実際には乖離してる。
その差を埋めようと高い目標を立てて、それをクリアする。
そこで得られる感情が「ほらみろ!俺って出来る奴」というものではない。 

『よかった、、、僕はこれが出来る人間だった。』と思っている。 

ホノルルマラソンを走っていることもフルマラソンを走れる人というセルフイメージを実践するため。 

↑フルマラソンを完走できる自分であったことを実感して安心の私の図。

親指の絵を描くときは親指を書いてはいけない、その周りの空間を書けという話をビジネス書か自己啓発書で読んだ事がある。

まさに、同じ心理。 
僕の理想とする田中徹也像に現実がおいついておらず、結果そこに近づけるためにいろんなことを達する事で「外堀から自分のセルフイメージを維持している」といえよう。 

だから「すごいな」とか言われても、僕自身は自分の自信のなさを補完するのに精一杯というのが本音である(w

そういう意味では、自分のセルフイメージをどこに設定するのかは本当に大事だと思う。

例えば人から期待をもたれたとき、セルフイメージが低い人は
「俺、どうせ出来ないし」と考える。
「無理やん」と。
だからそもそも挑戦なんかしない。

傲慢になるのとは違うけど、自分のイメージを高く持つべきだと僕は想う。
特に僕の場合は周りから「無理やろ」と言われれば言われるほど燃えるタイプ。
そしてそういう自分のセルフイメージやいろんなことを考えるのに必要なことって実はぼんやりする時間だったりする。

ちょっと長くなったので、続編とします。